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唐招提寺 点景

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唐招提寺といえばかの鑑真和上のお寺。学校の歴史で習ったくらいの基礎知識しか持ち合わせていない私ですが、行く前にちゃんと復習して行きました。Wikipediaで。(笑)

以下、鑑真和上についてのまとめ
鑑真和上は中国唐代律宗の僧侶。当時の奈良には私度僧(自分で出家を宣言した僧侶)が多かったため、伝戒師(僧侶に位を与える人)が必要であり、聖武天皇は優秀な僧侶をスカウトスべく、日本から僧栄叡、普照らを遣唐船で等へ送るわけです。彼らから戒律を日本へ伝えるよう懇請された鑑真は日本への渡海を決意。5度にわたり渡航を試みるのですがことごとく失敗します。その間に彼は失明し、6度目の渡航でとうとう日本に上陸するわけですね。実に10年の歳月を経て鑑真は宿願の渡日を果たすのであります。
こうして日本にやってきた鑑真和上は754年に平城京に到着し、聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。



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以後、日本における戒律制度が急速に整備されていったのでありますね。



東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地を下賜された鑑真は759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。これが唐招提寺なのですが、当時は講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけだったようです。現在の金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により完成したといわれます。
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また、鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝え、また悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだようです。
没後1250年たった今でもこのお墓に参拝する人が絶えないのはそういうお人柄によるものですね。いやあ、偉い人です。(^^)
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ところで世界遺産に指定されている唐招提寺にある伽藍や宝物は国宝だけでも次の通り。
【伽藍】…金堂、講堂、鼓楼、経蔵、宝蔵
【宝物】…乾漆鑑真和上坐像、乾漆盧舎那仏坐像、木心乾漆千手観音立像、木心乾漆薬師如来立像、木造梵天・帝釈天 立像、木造四天王立像、      舎利容器
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で、せっかく行ったのになんでそれらを撮ってこない?池に浮いてた亀の子撮ってる場合じゃないでしょ?
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撮影禁止の仏像はともかくとして、せめて金堂くらいは撮って来てもいいんじゃないかと。これじゃあ、行ったことにならんでしょうが!
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なはは。ごもっとも。反省して次に続きます。m(_ _)m

by borderlines | 2012-06-17 11:16 | 旅先

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