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信楽散策 その5

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信楽では昭和30年代中頃までは海鼠釉を使った火鉢の生産が盛んで、全国シェアの80%を占めていました。それらは江戸時代に発達した登窯で松の割り木を燃料にして焼かれていましたが、時代の流れと共に需要が減少してからは、火鉢に変わって植木鉢やタヌキの置物が信楽の窯業を支えてきました。
今では信楽に現存する登窯は十数基。その中でも稼動している登窯は2~3基だそうです。窯元の近代化により多くの窯元がガス窯や電気窯を使うようになり、登り窯は次第にその役目を終えていきました。


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ここに再び火が入ることのないことはわかっていますが、さみしいですね。m(_ _)m





今回私が訪れた窯元 明山窯さんで公開されている登窯「焼間」の壁面です。長年使い込まれて、煤で黒く化粧した耐火煉瓦と、床に厚くたまった灰の表情が厳くて、とてもいよい表情をしておりましたので撮ってきました。
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ところで、私は小学生の頃に信楽に社会見学に来た覚えがあります。今はどうかわかりませんが、信楽へ社会見学に訪れた滋賀県内の小学校はかなりの数なはず。
それからこれも小学生の頃、図工室に置いてあったガス釜で焼き物を焼いた覚えがあります。粘土はもちろん信楽産で、初めて焼いた「魚の壁飾り」は今でも我が家の居間に飾られています。焼き物が焼き上がるのを待つ間、学校の畑で収穫したサツマイモを釜の上に乗せて焼き芋にして、みんなで食べたことも楽しい思い出です。
その後、中学校でも美術の時間に菊練りという粘土の捏ね方や、ひも作り・板作りの生成法を習ったり、ロクロを使ったりして何度か焼き物を焼いた覚えもあるのですが、これって今から思えば県内に信楽という一大産地があるからであって、フツーの公立学校に立派なガス窯や電気窯が設置されていること自体、他の都道府県ではあまり例のないことなのかも知れませんね。(^^)

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以上で信楽散策シリーズ一巻の終わり~。お粗末様でした。m(_ _)m

by borderlines | 2014-05-19 01:12 | 旅先

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